


宇野多美恵 解釈
宇野 多美恵
Uno Tamie
1970年、楢崎先生がカタカムナ文献研究の後継者をさがすために催した「日本の物理学」連続講演会に参加。
感銘を受け、楢崎先生に師事。
研究の衣鉢を継ぐ。
宇野多美恵は、35年の間に、相似象会誌を26冊書いております。
「相似象会誌」としては、第1号~第16号
「<サヌキ・アワ>(性)のサトリについて」は、第10号の別冊として
「感受性について」第11号別冊として8冊書いております。
「ゲーテの「ファウスト」と<カタカムナ>」を「特集号」として1984年に書いております。
「カ」の存在
我々現代人は、自分たちの目にみえぬものでも、科学が、存在する、というものは信じられる。
電子や原子や細胞なども、我々は、肉眼でみているわけではないが、科学を勉強しているから、電子や原子や細胞の存在を信じない者はない。そして、その働き(物理)を理解し、自分たちの生活に役立てている。(逆序の能力)
その意味で、「カ」の存在、科学の認識には無いものである。どんな顕微鏡でも望遠鏡でも、みとめられるものではない。
科学が解明しないものは、我々現代人の脳は、わかることはできない。というより、その存在を信じることはできないのである。
科学を信じる現代人に、科学の認めぬモノを、わからせることは、ほとんど不可能である。
しかし、科学が発見しようがしまいが、現代人が科学を信じようが信じまいが、実際に、存在するモノは、存在する。
実際に存在するモノであるから、現代人の中にも、その存在を直観的に信じる者があった。
楢崎皐月は、電気物理学者であったが、現代科学にあきたらず、根本的な疑念を抱いていた。又科学が『生命は種から発生し、自然発生はあり得ぬ』と断定していることに反撥し、『昔から日本人は「虫がわく」と考えていた』といっていた。
又、『私は、電気の専門家でありながら、電気とは一体何だろう? と長い間、悩んでいた』ともいっていた。
そのような疑念を抱いていたからこそ、「カタカムナ」に出合い、同期波動が発生したのである。
則ち、カタカムナの上古代人が、「カ」といい、「カタカムナ」といったモノの存在を、文句なしに受け入れ、「カムアマ始元量」の直観物理を開発することが出来たのである。(相似象会誌 三~六号)
要するに、「カ」というモノの存在を受け入れなければ、カタカムナのサトリを承認することは出来ない。
筆者も、科学を信じる現代人であったが、楢崎皐月によって科学の限界をハッキリと知らされ、カタカムナの上古代人の開発した「カ」の物理、則ち日本語の「カ」というコトバの真実を知らされ、愕然として、新しい思想の芽が吹き出す思いがした。
そして、カタカムナ人が発見し、「カ」と名づけたモノ(潜象の存在)が、すべての生命の根源(ヤタノカ カミ)である、という思想は、ゆるぎない真実であり、(自分の生命も「カ」からタしてノしたモノであり、)我々宇宙の万物万象は、植物も動物も人間も鉱物も、則ち微小な電子・原子・ヴィルス・細菌・酵素から、巨大な地球や天体に至るまで、すべて、「カ」の変遷物の相似象である、ということを、ハッキリと認識に出すことが出来るようになった。
(相似象会誌第十二号 48~51頁参照)
上古代人が「カ」といったモノは何か?
『カタカムナ文献(ウタヒ)』は、カタカムナの上古代人が、自分の感受性で感受
したモノゴトを精一ぱい自分の脳を開発して考えてコトバ化したもの(おそらく
人類最初の文献)である。
カタカムナ人が「ヒ」(根源)といったモノ、則ち、カタカムナ人が発見した
宇宙のあらゆる現象の「ヒ」(根源)とは、とりも直さず、潜象の存在(カム アマ)のヒ、則ち、「カ」とよぶモノである。楢崎皐月は、上古代人が「カム」といったものは人間の能力で説明できるものではない。「カム」としか言いようがない。
人間の頭でわかることがない「ナンセンス」だと宇野多美恵の質問に答えている。
釈迦も孔子もゲーテも知らなかった潜象である。
則ち、私達のイノチは「カ」によって生かされている。地球も太陽も宇宙をも動かしている「チカラ」を直観で感受し、「カム」といい、それが現象界に現れたモノを「カ」と感受して、図象文字を遺してくれたものです。
カタカムナ人の造語法は『宇宙の万物万象は、すべて「カ」の変遷物である。』
というサトリに基づいて居り、四十八のコトバは、「カ」の変遷の状態を抽象したものである。
(又、四十八の声音の図象文字で綴られていて、これが、日本語の起源といわれています。)
自然の動植物のように、私達のイノチを生かしているモノが「カ」なのである。
それが「カハ」として現象界に現れると右旋(サヌキ)と左遷(アワ)の右回りと左回りの渦になるのである。
第四十一首のウタ (楢崎皐月が図象文字を解読したウタ)
カムナガラ トヨクラオカミ クラミツハ
アマタマ マトマリ カタカムナ マサカヤマツミ
ムカヒマリ オドヤマツミヲ メグリマリ
ワクミハラナル マカヒクヒサリ
カタカムナ人は現代科学の電気物理や原子物理のような考え方ではなく、あくまでも実際の生命現象の発生と変遷の物理として、カムとアマ、カとミ、カとカムナ・カハ・イハ・トハ・トヨ・ミツハ・ミハラ等の一貫した生命原理(カタカムナのサトリ)を示していたのである。遺伝子を発現させる以前の潜象の物理を現代人の「人間脳」だけでなく「生物脳」(人間にもあるが鍛えられていない、動植物は「人間脳」はない。)が100パーセント開発されていた時の人間が感受したウタである。
現代人は「生物脳」は、ほとんど眠らされて、その上に開発された「人間脳」だけを酷使しているので、生命が危ない。特に最近は「痴呆老人」と言われている人も多くなり、その原因も脳の使い方にある。宇野多美恵は、「ミを入れる」とは、「感受性」を鍛えることであり、上古代語が現在も残って使われている、証拠であると言われています。
カタカムナ人は、イノチとは、何か?が分かった「アシアトウアン」のサトリである。
相似象(ヒトツカタ)とは
潜(カ)象(ム)の「カ」が、現象に出たものは、「アマ」「マ」「マリ」「タマ」と変遷する。
カタカムナの上古代人は、数万年前の後氷期のネアンデルタールやクロマニヨン等の洞窟人のレベルの頃から『自分たちの生命を生み、生存させているモノは何だろう?』という思念(オモヒ)を起し、人類の「種」のもっている動物レベルの生物脳の感受性(アワ)を極限まで鍛えて考え考えつづけ、その考えたことを、人類のみのもつ進化した、人間脳(サヌキ)を最高度まで開発して、抽象し、コトバ化して、遂に「カム」「アマ」という潜象・現象の二重構造(フトマニ)を発見し、「生命現象」というものが、 どのようにして潜象から発現するか?という「アマウツシ」の機構を、物理(サトリ)として、八十首のウタに示すことが出来たのである。
「カ」は「カム」としか言いようのない力(チカラ)だけの存在である。
「ム」の基底思念は「六方環境に存在するモノの意」
「カム」は人間の頭でわかることの出来ないモノである潜象である。
そのチカラが宇宙をはじめ、地球も太陽も人間も動植物も鉱物も水も岩も、すべてを生み出すのである。原子も元は「カム」のチカラである。すべて相似象(ヒトツカタ)である。
* 第十七首のウタの解説
カムナガラ トヨヒ カミ アマウツシ ヤホ トヨノ ユツ
イキ 二タ ネ フタ ハシ ウキフ ツミ タカ マカ カヅ
ムスヒ ヌシ カタ カムナ マカ ハコ クニ ノ ヒトツカタ ツミ
これまでは、潜象の「カ」カムから、現象の物質・生命質の発生する基本の物理が示されているが、そのあと、この第十七首では、「カムナガラ」と初めて言い出し、改めて、宇宙の万物万象は、根源のカミからアマウツシされて発生したマカハコクニの変遷物である。という意味で、すべて ヒトツカタツミ(相似象)である。というサトリを端然と、宣言するように、述べている。
我々の生命の根源は、現象物ではなく、潜象のモノであり、現実の生命は、潜象の「カ」が「タ」して変遷したものである、という、生命現象の真実(マノスベ)の物理を、カタカムナ人の脳は、発見(開発)し、人類として、ハッキリと、認識(コトバ)に出したのであった。
彼らの(カタカムナ文献の)コトバは、既にある民族の言語を使ったものでは無く、カタカムナ人自分たちのサトリを示すために、彼ら自身が造り出したものであることを、失念してはならない。
そして、彼らが「カタカムナ」といい、「カムナガラ」といったモノは、我々現代人はまだ認識に出していないし、現代科学も発見(開発)していないものであることを、心にとめて頂かねばならない。
因みに言えば、「カタカムナ」は潜象物理であるが、「潜象」というコトバを始めて確立したのは楢崎皐月である。「潜象」は、「霊」とか「宇宙生命」「超エネルギー」のような文学的用語では無く、明確な物理用語である。
「潜象」というコトバを、初めて聞かされた時の、衝撃というべきほどの感動を、筆者は生涯忘れることは無い。(第十二号 150~151頁)
