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紙が透明リッピング

解読者 楢崎 皐月

楢崎 皐月

Narasaki Kougetsu

1899年北海道小樽市生まれ。
1949年、六甲山にて大地電位の分布実測調査中、平(ヒラ)十字(トウジ)と名のる老人に出会い、「カタカムナ神社の御神体」として伝えられた巻物の書写を許される。
カタカムナ文献を解読し、「直観物理学」として展開した。

*楢崎皐月は、科学が現代人の感受性と脳によって開発した、電子・原子・細胞等の極微粒子の知識をもつ科学者であったから、カタカムナを解読して、科学には、カタカムナの潜象(カムアマ)の認識は無いが、カタカムナ人のいう イモ カラミ マクミ というコトバは、科学の電気・磁気・力の電気力に相当し、電気(イカツ)と磁気(マクミ)はつねに伴って(トノヘシ)発生することを示している、と直観したのである。

 しかも、科学は、その電気(イカツ)と磁気(マクミ)のチカラ(カラミ)の物理の現象を示しているだけであるが、カタカムナ人は、科学が、電気・磁気・原子・原子核、細胞等の現象としてとらえていたものが、すべて、カムからの変遷(オホトノチ・オホトノヘ)であり、電気に伴ってイモのカラミを発生し、様々な電気現象を示すのは潜象の「アマナ」(サカキ メクリのカムヤタマリ)の質量(オモダル)が、原子核(クニヌシ)として存在(シツマリヌ)するからである、という潜象物理を開発していたのである。

*楢崎皐月は、『僕は電気の専門家でありながら、電気とは一体何だろう?という悩みを、ずっと、もっていた。』といっていたから、カタカムナを解読して、本当に驚嘆したのである。そして、『我々の祖先には、偉い人がいたものだ。心から脱帽します。』といっていた。

 又、『僕は、電気をやっていて本当によかったと思う・・・・。』ともいっていた。

 まことに、楢崎皐月が、現代科学の知識に満足せず、疑念をもちつづけていたからこそ、カタカムナ人のコトバに出会い、共振的に感得(ヒビキ)されるものがあったのである。

『カタカムナ人が生命のサトリを知ったのは、電気の物理を知ったからだ。電気が生命を生み、電気の本性は、カムの変遷であることを、カタカムナ人は知ったのだ』と楢崎皐月は言っていた。

 そしてその生命の発生とカムの変遷の物理を、ウタとして、図象符で示したものを、解読し、自分の知っている科学用語を用いて、筆者に教えてくれたのである。

*楢崎皐月は、又、『カタカムナ文献(ウタヒ)』は、『古事記』の原本であると言っておりました。

*楢崎皐月は、明治32年巳亥、5月9日、母の実家、山口県東萩に生まれ、北海道に育った(『当時はノンキなもので、半年後、北海道に帰ってから届け出た為、戸籍では小樽出生となっている』)とのこと。

 楢崎皐月の研究は、大地と密着、大地の電気(環境電気)が最初、つねに、環境電気(電気・磁気・力)を取り込み、自然発生に取り組んでいる、元素転換のための研究と反電磁場の研究であった。(1971.10.9のメモあり)

 日本の戦後の食糧難を救おうとして、大地の電気を測量していた。三輪山の電気が最も高い値だと会誌に書かれていました。金鳥山での測量の時に、平十字から、「カタカムナ文献」を見せられる。

金鳥山で「カタカムナ文献」を書き写したとき、この図象文字は、中国の道教のお坊さんの蘆有三が云っていた八鏡文字ではないかと思い、 楢崎皐月は、ただ一人、二十年間かかって、解読されたのでした。(まだ、四十代で若かったから出来たと、テープにありました。)

* なぜ、状態に潜象があるかに、気がついたかといえば、そう読み取るまでに非常に努力を要した

 

  • 相似象会誌第三号133頁抜粋

複雑多岐な相(スガタ)を見せて居る万物万象から、共通する象(カタチ)を「抽象」して、「球(タマ)」であることを把握した、カタカムナ人の直観の基本態度を知ったとき、私達は真に驚嘆した。しかし、それにもまして、現象と潜象の重合、則ち『反』の世界の問題に気がついたとき、それは衝撃的な感激であった。上古代(カタカムナ)人が、目に見える現象の状態には、目に見えぬアマの潜象の潜態が秘められて居る、ということを、神秘観からでなく、直観として知(サト)り、その物理(コトワリ)を、何とかして伝へようとして居るのだ!と、わかったときの感動は大きなものであった。彼らのナゾの図象文字を、そのようなイミに読みとるまでの、楢崎皐月の長年にわたる辛苦は、真に筆舌につくせぬものであった。そして、今まで、私達も、カタカムナのウタヒのクセにもなれ、彼らの世界になじみ、彼らの感じた同じアマのココロを覚えるようになり、そして、楢崎が、そもそも石油、鉄の仕事中から大地電気(環境の電気現象)に着眼し、静電気、植物波、人体波、生命の発生、元素の転換、反電磁場等々と、つねにその関心は大地(アマ)を離れず、遂に、多年最高レベルの研究家として非凡な業績をあげて来た、その仕事をも一切なげうって、全才能を、カタカムナの文化の翻訳の仕事に打ち込み、みづから「学者」になろうともせず、何らかの対価も求めず、ただならぬ情熱を以て、甘んじて、カゲの奉仕の生涯に徹しようとせずに居られなくなったその所以が、心から頷かれるまでになったのである。

誰一人理解してくれる人はなく、家族にも、受け入れてもらえなかった。がただ一人、宇野多美恵だけが、わかってくれたと、二人が出会えたのも、アマのオコナヒだと、人間の成せることではないと、喜んでいたという。

うずまき
ホワイトサンズ

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